ネタバレ有り。
これらは全て個人的な思いだが
一言でいうと
「世界と隣人、どちらを優先するか」
という、あらすじとしてはよくある話。
ただ他の作品と少し異なるのは、
「世界は元から狂っている」
というメッセージが明確に存在すること。
先にこの記事の一部結論をいうと
「社会を見捨てて自己中心的に身勝手に大切な人を優先するのも人間であり、世界だ」
何故ならば、
「社会的な正常と異常は人が勝手に決めたものであり、時に人々は異常さえ無意識に肯定している。また、この世界も完璧ではない状態を正常として稼働している。そんな壊れたものに付きあう必要はない」からだ。
※ここでいう「世界」とは神秘的な人間よりも上位のもの
登場人物紹介
簡単に登場人物を紹介する。
森嶋帆高(もりしま ほだか)
高校一年生の男。地方から東京へ家出をし、「天気の子」である天野陽菜(あまの ひな)に出逢う。
天野陽菜(あまの ひな)
祈ることでどんな天候でも晴れにすることができる。病気で母親と死別し、弟と二人で東京に暮らしている。15歳だが17歳だと偽って風俗?のアルバイトに募集していたところを帆高に止められる。
須賀圭介(すが けいすけ)
40歳程度の男性。有限会社を経営しており、主にライターとして働いている。帆高に住まい・食事・仕事を与える。嫁は亡くなっており、幼い娘とは別居している。
須賀夏美(すが なつみ)
圭介の姪。女子大生。圭介の事務所で働いているが、就職活動も行っている。
レビュー・感想
作中には、「世界は元から狂っている」「完璧ではない」描写がいくつも登場する。
一つ目は、帆高が家出をし、東京で暮らそうとしていること。
二つ目は、陽菜の母親が死に、弟と暮らしていること。
三つ目は、圭介が家族と暮らせていないこと。
四つ目は、夏美が就職活動でどの企業も第一志望だと言っていること。
五つ目は、洪水中に通常通り出勤するサラリーマンがいること。
世界の理想像を想い浮かべた際に、これらは全て異常と写る。
しかし、我々はこの「異常」な状態を無意識に肯定している。
また、仮に世界に意思があったとしても、これを「正常」というだろう。
何故ならば、世界がルールであり、我々から見た天変地異が起こったとしても、それは成るべくしてなったということだからだ。
これは圭介が天候に関する神社へ取材をした際に神主が言った言葉としても盛り込まれている。
神主曰く、巷では天候が通年と異なると「異常気象」と言うが、「異常」なことは存在せず、それが正常な状態だという。
つまり、終盤で圭介が言ったように「この世界は元から狂っている」
我々の理想像で世界は回っていない。
単にとあるシステムで回っている世界に住まわせてもらっているだけ。
そのシステムが正常動作をし続けても、社会的な異常は発生する。
何故ならば、我々の仕様通りに作られていないからだ。
また、仕様通りに作られていないことを理解していながら、我々はそれが素晴らしいものだと言い張り、壊すことを躊躇する。
要件を満たさずとも、既存のシステムが稼働し続けることを良いことだと捉えている。
そんな元から狂っている世界なんて、優先する必要はない。
たとえ自分の我儘で世界を異常にしてしまったとしても、元から異常なのだから気にする必要はない。
それよりも、大切な人の為に行動したって良いのではないか。
そんなメッセージが込められている。
ここまでは圭介や神主の考え方としての「世界」について書いてきたが、帆高は少し異なる考え方をしている。
「ただの人間が世界に影響を与えることは出来ない」ことを記してきたが、
終盤、帆高は「やはり、自分達が世界を変えてしまった」と言っている。
これは正確にいうと世界ではなく自分達が「社会を変えてしまった」という意味であろう。
帆高は世界を「隣人を主とした社会」だと捉えているが、
一方、圭介や神主は世界をもっとメタ的なものとして捉えている違いだと思われる。
帆高達が日本、少なくとも東京の社会を変えてしまったのは事実である。
陽菜は自分のせいで東京が壊れたと自責の念に押し潰されそうになっていることだろう。
映画の最後、陽菜と3年ぶりに再開した帆高は、「僕達は大丈夫」だと声をかける。
この大丈夫には何の根拠も無い。
それ故、陽菜にとっては無償の全肯定となる。
理由なんて無いが、僕は、君は、大丈夫だと。
これで良かったんだと。
一人の存在を丸ごと肯定する、帆高の思いだ。
狂った世界に正解は存在しない。
だから、自分達自身に大丈夫だと言い聞かせて、二人で一緒に、より良い方向に進んでいくしかない。
いつか本当に君の「大丈夫」になるから。
帆高の決心の言葉だ。