エヴァ・死んだ友人・未来

かつて地元に存在した本も売っているレンタルビデオショップでエヴァのカヲルが好きだと言われたが僕はエヴァの知識が乏しかったので赤い子だよねと言ったらそれはアスカというらしい。

 

僕にエヴァの説明をしてくれたのは小学五年生でクラスメイトになったY君だった。

小学校は一学年4クラスだったため、同じクラスにならないと顔と名前が一致しないし、人となりも分からない。

ただ、彼のことは昔から知っていた。

一年生の時、下校班が同じだったからだ。

 

僕の学校は登下校を数人のグループでまとまって行っていたが、理由は不明だが登校と下校でグループの構成が少し異なっていた。

おおまかなルールとして、下校班の方が登校班よりも数人多くなるようだった。そのため、下校班の方が自分の家よりも遠い人、つまり近所の親同士の付き合いのない人や、幼稚園や保育園時代では知り合っていない人が多くなる。Y君も、知らない人達の一人だった。

 

僕は下校班が嫌いだった。

帰り道にある稲の生えた田んぼでかくれんぼが始まるからだ。

あとほんの数分で家へ帰れるのに、背伸びをすれば屋根が見えそうなのに、田んぼでかくれんぼを始めた彼等は、30分は遊び続ける。稲の生えた田んぼは入るとベタベタするし、なにより早く帰りたかったので登校班が一緒の女の子とベンチに座り無言のプレッシャーをかけ続けていた。

遊んでいる彼等はここからまだ倍以上も歩かなければいけないので、たしかにそれを考えると遊びたくなる気持ちも分かる。ただ、毎日は普通にキツイ。あの時の稲の刈り取りを急ぐ僕達の気持ちは、農家のそれに負けていないと思う。

ある日、雨が降った。今日はかくれんぼをせずに帰れるぞと安堵していたが、雨の日のほうが100倍最悪だった。

なぜか知らないが、Y君が傘でめっちゃ刺してくる。差している傘を瞬間的に閉じて刺すという器用なことをやってくる。

負けじとこちらも応戦するが、Y君は僕の後ろに位置する編隊のため、分が悪い。なんとかノールックで刺しにいくが、半分くらいは避けられる。しかも避けたら次の一撃がなんか強くなって返ってくる。アクションゲームで敵にカウンターを決めてる感覚なのかコイツは。

 

小学二年生の頃、近所で変質者が出たことにより下校班が強化された関係で、Y君とは別の班になった。

 

それから約三年後、五年生になった僕が教室へ向かうと、同じグループにY君がいた。またコイツかよと思ったが、その日、僕はY君の家に行き、それから毎日遊ぶようになった。

何度も彼の家へ電話をしたので、彼の電話番号だけはいまだに覚えている。

 

彼の家は一軒家だが、今思うとかなり狭い家だった。ただ、滅多に彼の家族を見かけなかったので、当時は狭いと感じることはなかった。

母親とは一緒に住んでいるらしいが、父親もあの家に住んでいたのかは不明だ。たまに家に出没するが、出現頻度が希少すぎるし父親が二人いて顔が全然覚えられない。年の離れたお兄さんもいるので、誰が誰なのか把握できない。お兄さんは僕らが小学生の頃には結婚していて子供もいるということしか知らなかった。

家ではPS2のモンスターハンター2(ドス)をやっていた。また、彼の家にはPCがあったので、面白フラッシュやYoutubeを観ていた。2007年というYoutubeが始まって間もない頃にどうやってサイトに辿り着いたのか不思議だが、おそらく面白フラッシュの動画から2chに流れ、リンクを辿っていつの間にかYoutubeを開いていたのだろうと思う。
ちなみに、当時のGoogleでは「おもしろ」と検索すると面白フラッシュがトップに表示されていたので、単純な小学生はだいたい面白フラッシュには辿り着いていた。僕らのインターネットは全て面白フラッシュから始まっていたのだ。

天気の良い日は外で遊ぶことも多かった。友達を数人呼んで近所の団地を使った鬼ごっこをよくやったが、範囲が広大が故にほぼ100%の確率で誰も捕まえることができないので、最初のジャンケンで一日の運命が決まる運ゲーだった。ルールは特にないので、範囲内にある友達の家に行ってゲームを始めたときは流石にこれ鬼は泣くだろと思った。

自転車で山を超えて知らな街へ行く遊びもよくやった。Y君は何も考えずに進んでいくので、日が落ちるにつれ僕は不安になっていった。でも、知らない街を観る体験は世界が広がったように感じられて、止められなかった。

不思議なもので、最終的にはいつも何かしらの奇跡が起きて、無事に自宅に帰れていた。

 

中学校への進学に伴い、小学校の友人達は3つくらいに分断された。僕とY君は家の方向が同じため、中学も同じ学校に通うことになった。二人ともバスケ部に入った。

 

中学二年生の頃、Y君は肩にタトゥーを入れてきた。自分の手で入れたらしい。

名札の針で彫り、ボールペンのインクを入れて火で炙ったらしいが、意外にも綺麗にできていた。聞くと、掘るのはよいが火で炙るのは半泣きになりながらやったとのこと。

1週間後、綺麗に元通りの肩になっていて、とても可哀想だなと思った。

 

Y君はイケメンなこともあり、数ヶ月ごとに彼女が変わっていた。タイミングが合えば僕も一緒に遊び、夏はよく花火をやった。花火というのは不思議なアイテムで、火を付けるだけで何か特別なことをやっている気がした。

夜の橋の下には壁に火で描いた文字が浮かぶ。翌日、日中に橋の下を覗いても文字はもうよく読めない。文字色が白だからという理由だけではないと思う。

 

Y君を含め部活の仲間達とヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を観るために地元の映画館に行った。前作の序とは打って変わって、TV版とは異なるストーリーや、更に迫力のある映像であったため、感動した。ただ、送り迎えをしてくれたY君の家族の都合でエンディング途中で帰ることになったのは辛かった。館内で偶然出会った部活の後輩からエンディング後にカヲル君が出てきたと聞いて落ち込んだ。たしかに、パンプレットの表紙に描かれた初号機が槍に貫かれているシーンが劇中に出てこなかったが、エンディング後に流れたらしい。このシーンは後日DVDで観ることにした。

 

夏休みに、地元の未来の風景を描くという美術の宿題がでた。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のパンフレットに描かれていた、ビルと電柱と山の風景を模写した。今と変わらない風景で未来感の無い絵が美術顧問に響いたらしく、コンクールに提出されることになった。絵の中に題名を書く必要があるらしく、その時は絵の具を持っていなかったので黒のマジックで山肌に「未来の〇〇市」と書いた。

結果、何にも入賞しなかった。

 

ある日、Y君が小鳥を握ってきた。校庭で死んでいたらしい。ゴミ箱へ捨てるわけにもいかず、Y君は理科室前の廊下に並べられた動物の剥製が入った棚の端に小鳥を置いた。身体が固まっていたのか、しっかりと立っていた。それから1ヶ月後に卒業となったが、最後まで小鳥はそこにいた。死骸に付着した雑菌により堂々たる剥製達が一網打尽にされてしまうのではないかと心配したが、噂によると先生が小鳥を見つけてくれ、無事に撤去されたらしい。

 

僕は地元の進学校へ、Y君は商業高校へ行った。

次に会ったのは4年後の成人式。会ったと言っても写真撮影の時にニットを被った彼を見かけただけで、話もしていない。

風の噂で、結婚したとか、ラーメン屋で修行しているとか、断片的な情報だけ知っている。

彼は僕が高校でバンドをやっていたことも、東北の大学に行ったことも知らないだろう。

 

成人式から暫く経ち、就活の時期がやってきた。

大学で出会った関東出身の友達の家を拠点とし、いくつかの企業の選考を受けた。

3月の初旬、母親からY君が死んだと連絡がきたので地元へ戻り、葬式へ向かった。

 

会場で、成人式以来に地元の友達と会った。

驚いたよな、とか。早すぎるよな、とか。

そんな話をした。

 

僕は以前から、Y君が死ぬことを知っていた気がした。

少なくとも、仲間内で一番早く死ぬのはY君か自分だろうなと漠然と思っていた。

周りの友達も、なんとなくそう思っていたのではないか。若くして死んだわりには、みんな彼が亡くなったことを受け入れているように感じた。

どちらかといえば、彼は早死するタイプに見えた。

 

病気だったらしく、成人式の時点で癌にやられていたらしい。写真撮影の時にニット帽を頑なに脱がなかったのも、きっと癌の影響なのだろう。

 

遺族として彼の父親が泣きながら話をしていた。隣には赤ん坊を抱いた女性が立っている。彼の母親は既に癌で亡くなっていたため、きっと彼の妻と子供だろう。初めて会った。

 

写真で見かけた顔だと、彼の父親が僕のところへやってきた。

家族で写真を撮っていなかったので、数少ない写真に写っている人物は貴重らしい。

中学の頃に夏祭りの端っこで二人でスイカを食べている写真だった。あれから10年程経っているが、ひと目で僕だと分かったということは、長い時間、写真を見続けていたのだろうなと思った。

 

葬式で一番心に残っているのは彼の遺影だった。

これもきっと写真がなかったのだろう、少し幼く見える彼は、記憶の中にいるとおりの半笑いで、太宰治のように頬杖をついていた。

この遺影があまりにも良かったので、僕の遺影もこれにすると決めた。

仲間内でも、特に半笑いのところが評判が良かった。シニカルとニヒルの化身みたいな奴だ。

 

社会人になって数年が経った。

エヴァンゲリオンの新劇場版が、遂に完結するらしい。

土曜日に、渋谷の劇場。一人で観た。

2007年に序が始まり、2021年に完結。14年の歳月。

最初から最後まで、同じ人と共に観ることができた人達は幸せだと思う。

14年間の年月は、人を成長させるし、変化も大きい。

風景は特に変わった気がしないが、いつの間にか、僕らはとても遠い未来にきてしまっていた。

僕は、中学生の夏休みに描いた未来の絵を思い出した。

 

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